59 二宮尊徳と報徳

二宮尊徳と報徳

 

◎本校の校舎北側には、二宮尊徳の石像が凛として立っています。

 二宮尊徳は、江戸時代後期の経世家、農政家、思想家です。

 (1787年~1856年)

 

◎幼少時代に苦労され、早起きして久野山に薪とり、夜は草鞋作りをして、一家

 4人の生計を立てたといわれます。この頃の様子が、今の石像の姿だと思われます。

 

◎その後、二宮尊徳は、家を復興させ、600の村々で財政を再建したり、農村を復興

 させたりしました。その功績や勤勉さを称え、各地の小学校には、本校のような石像

 が建てられたようです。

 しかし、薪を背負ったまま本を読むことが、危険であるとか、歩きスマホ禁止などの

 風を受けて、老朽化とともに撤去されてしまう傾向にあります。

 

◎私は、二宮尊徳の功績の裏にある考え方は、今の世界でも通用するものも多々あると

 思います。

 

 そのひとつに「一円融合」という考え方があります。これは、物事を見る時に一面

 だけでなく、全体を見渡して考えなければならない、という考え方です。

 

◎また、「至誠」「勤労」「分度」(収入、能力、資源、回復力の限界(分)を言い、

 それを心得て生活、事業をすることが大切であるという考え)、「推譲」(分度に

 よって生まれた余力、お金を自分の将来や社会のために譲り合うこと)の4つの発想。

 

◎そして、「報徳」

 「荒地には、荒地の力があります。荒地は、荒地の力で起こし返しました。人にも

 それぞれの良さや取柄があります。それを活かして村を興してきました」

  これは、荒地を豊かな土地にするのではなく、荒地に適した作物を作り、村を興し

  たということです。

 

◎二宮尊徳のこのような思想は、渋沢栄一、鈴木藤三郎、安田善次郎、豊田佐吉、

 松下幸之助、土光敏夫等々、明治、昭和を支えた財界人、実業家、経営者たちに

 多大な影響を与えたと言われています。

 

 ☆逆境を跳ね返し、今置かれている現状から活路を見出した

   二宮尊徳の思想や生き方から現在でも多くのことが学べると思います。

 

      本太小学校長  千葉 裕(ちば ひろし)

  

 

 

  • 2023年06月29日 13:10

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